

インプット・アウトプットが遅かった長女
周りが言葉を発するようになった時期、長女も1語の出だしは好調でした。ちゃんと話そうが話すまいが、とっても「意味のある言葉を発する」のが、かわいくて長女との言葉のやり取りが嬉しかったことを覚えています。
2語くらいを発しても良いと言われる頃に、ちょっと遅いかな?と思いましたが、子供のペースに任せていました。
「遅れ」という風に私が認識したのは「自分の意思を言葉に表すことができない」ことに気付いた時でした。3歳くらいだったでしょうか。
自分の意思をどう言葉にしたらいいのか。が、わからないのかと思い。
取って欲しい物があるときは「これ取って」と言ってね。これでブロックで遊びたいときは「ブロックで遊びたい」。外に行きたいときは「外に行きたい」。
長女の意思がわかった時には、言葉を教え表現方法を一つ一つ教えて行きました。(のちの支援センターで通常は教えずに、聞いて見て覚える。その能力に遅れがあると言われました)
何度も何度もその都度教えても、一向に覚えない長女。
長女に非はないのに、覚えない・言葉でやりとりできない・いつまで経っても愚図って意思を伝える。私もイライラするようになってきてしまいました。
この時の育児が、私の育児生活の中で一番しんどかった時期です。
発達支援センターに行く決心がついたのは年長
年少から保育園に入園し、周りの子供に誘発されて長女の言葉の発育はすごーく成長しました。この時、集団生活って早い方が良いんだなと、私は思いました。
トイレトレーニングもまだ中途半端なまま保育園に入園しましたが、先生や周りに誘発され、トイレトレーニングも順調に進みました。
家でママと2人で過ごすより刺激的な保育園、一緒にいるのにママがイライラして寂しい悲しい思いを親子でするより、お仕事と保育園で離れている時間がある分、一緒にいるとき笑顔が多いほうが親子にとって良いなと思いました。
園でやるダンスや行動など、目で見て覚えることは普通にできましたが、それでもやっぱり「聞いて覚えてそれを発する」という一連の行為には遅れがありました。
年中になり、周りが言葉をたくさん覚えて発する時期になると、我が子の言葉の遅れはどんどん広がっていき、子供同士でも気付くようになりました。
お迎えに行くと「○○ちゃんが話し方変だって言う」「話せないから赤ちゃん組に戻れ」と言われたと泣いている日が年長から増えていきました。(こう言われて嫌な思いをした。というのも長女が発する単語で私が理解してました。)
この頃から長女は、人の目を気にするようになり、間違えることに対する劣等感を強く持つようになりました。
ここにきてやっと、発達支援センターに行こうと思いました。
このまま長女のペースを待ってるだけじゃ、長女自身が可哀想に思いました。
発達支援センターに通った成果と気付き

年長になったと同時に発達支援センターに週1で通いました。発達支援センターは小学校入学と共に終了とのことで、長女が通いだしたのが入学まで1年の次期だったので、週2を勧められましたが、仕事の都合がつかずに週1で通いました。
最初に行った日は長女の動きや言動をプロの方に観察してもらいました。その次に長女の知能テストを受けました。まだ座ってテストを受けるということをしたことがない長女は、いつもの力を出すこともできませんでした。
テストで出た結果は
「マイナス2歳」
「IQはグレーゾーン」
「耳に入ってきた情報を転換して人はアウトプット(話す)している。そこに遅れがある」
「舌が硬くて、前の言葉の発音に後の言葉が引っ張られる」
「自己肯定感が低い」
この結果は衝撃的でしたね。
そしてこの結果を受けて、母としてこの子ともっと向き合わないといけないと思いました。
自己肯定感を指摘されたのは長女の「失敗を恐れてやる前からやらない」「できないとすぐに言う」という言動からでした。
気付かない、自覚がなかっただけで私が長女ができないことを指摘して、長女を追い込んでいたのかもしれません。そして保育園でお友達に話が下手ということで笑われて傷付いた気持ちが、長女の肯定感を下げてしまったのだと思いました。自己肯定感が低くなるほど長女自身ストレスを感じていたのでしょう。
このことがきっかけて、長女には褒めて褒めて愛の言葉をたーくさん伝えて,ハグを毎日たくさんするようにしました。
毎週通うことで長女が得る物は多く、ぐんぐん成長が見えました。
通いだして半年位したら保育園の先生からも「○○ちゃんお話とっても上手になりましたね」と言ってもらえるようになりました。
もっと早く通わせてあげればよかったな、と自分の選択を悔やみました。
発達支援センターでやっていた練習内容はまた後日書きたいと思います。